栗原謙司信秀の作品

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     ○H30年10月の64回目の重要刀剣の審査に次の2本が合格しました。
      1、文久二年十二月日の作品 → 刀剣美術誌のH30年7月の鑑定刀に使われました。
      1、明治九年八月日の作品 → 日刀保協会設立第2回全国大会の入札鑑定刀に使われました。

作品を見たい方は「押し型か写真」をクリックして下さい。 ◎ 短刀 銘 表銘 信秀 裏銘 安政二年八月日写真 寸法 長さ9寸(27センチ) 反りなし 彫り 表銘 「日本心を人問はば」 裏銘 「朝日に匂う」の文字の下に山桜の枝花の浮かし彫り 説明 「大和心を人問わば朝日に匂う山桜かな」の本居宣長の詩で信秀の作品によくある彫りで 山桜を枝花の浮き彫りにしています。 刃紋は匂い出来で、焼きが低めで頭が揃ったこずんだ出来で、移りがありますので備前の 景光あたりを写したものではないかと思っています。特に映りが強い作品です。 ◎ 短刀 銘 表銘 信秀 押し型 寸法 長さ7寸5分(22.6センチ) 反り1分3厘(0.4センチ) 説明 菖蒲造りの短刀、重ね薄めで鎬高く、裏銘はないが銘字から安政頃の作と考えられます。 ◎  刀 銘 表銘 栗原謙司信秀        裏銘 安政四年八月日押し型 寸法  長さ 二尺三寸五分(71.2センチ)    説明  姿は反り強く、鍛えは強いが荒々しく、刃も特徴を表しながら完成期の慶応年期と違う感じ        がある。 ◎ 短刀 銘 表銘 信秀 裏銘 安政五年二二月日 切っ先の写真-中心の写真 彫   表銘 鎬上の細樋と薙刀樋        裏銘 鎬上の細樋と薙刀樋 寸法  長さ八寸七分(26.4センチ) 反りわずか(0.2センチ) 説明 小烏丸造りの短刀、刃紋は直刃で刃縁柾掛かり、鍛え小杢目詰んで柾掛かる。 姿は短刀としては珍しい小烏丸造りを写した形です。        ◎  短刀  表銘 信秀       裏銘 安政五年十一月日押し型  寸法  長さ 九寸八厘(27.5センチ)     説明  この作品のように、信秀には直刃の作品がままあり、棒映りが立ちます。直刃の場合は、 この短刀も含めて概して鍛えがよく、棒映りが立つことが多い。 ◎  刀   表銘 栗原謙司信秀        裏銘 安政七年二月日 写真    寸法  二尺五寸二分(76.2センチ) 反り四分六厘(1.4センチ) 彫   表銘 添い樋を伴い鎬地に樋丸止めの下、櫃の中に天鈿女命(あめのうずめのみこと)        裏銘 鎬地に樋、樋中下方に緻密な龍    説明  後の信秀らしい体配とは違い先幅やや狭まり、反り適度に付いた姿に、表裏緻密な彫がある。        天鈿女命の彫も、後の定番とは違う姿です。栗原信秀の研究所載 ◎  太刀  表銘 信秀万延元八月日        裏銘 なし 写真    寸法  二尺四寸六分(74.4センチ) 反り七分(2センチ)    説明  文久以降の信秀の作品は元先の身幅変わらず、切っ先伸び心の適度な姿に決まるようです。        それ以前はさまざまな姿があり、この刀のような特に身幅広く、大切っ先の姿は、出来こそ、        信秀らしい出来ですが、太刀銘一行の珍しい銘とともに際立った姿をしている作品だと思います。 ◎  短刀  表銘 信秀        裏銘 万延元年十一月日押し型     (昭和四十二年三月日O虎徹彫越後三条住昭忠彫之 六十八才)括弧内後銘    彫   表 凡字と上に二本樋        裏銘 櫃の中に大黒天、上に二本樋    寸法  長さ 九寸九分七厘(30.2センチ)    説明  おそらく造りの脇差に、三条の阿部昭忠が後彫りをしたもの。刃はやや沈み心ながら匂い 深く、金線などの働きがある。 ◎   刀  表銘 栗原謙司信秀       裏銘 万延元年八月日押し型   寸法  長さ 二尺五寸八厘(76センチ)    説明  この頃までは、信秀の作風が固まらず、さまざまな姿があるが、この刀は太刀風にやや反り 付き、焼も静かな出来である。 ○  刀   銘 表銘 栗原謙司信秀彫同作          裏銘 文久元年十二月日中心--竜彫拡大-切っ先 寸法  長さ 二尺七寸八分(84.2センチ)      説明  小沸出来で、金線盛んに働き、長大で出来が良い。彫同作と切るものは珍しい。        「栗原信秀の研究」所載品        週刊日本刀の第72号掲載品→ここでご覧頂けます ◎   槍  表銘 栗原信秀       裏銘 文久元年八月日押し型    寸法   長さ 五寸四分五厘(16.5センチ)    彫  表 草の倶利迦羅   裏銘 二本樋    説明   槍としては、刃中の働きが盛んで見所がある。 ◎  薙刀  表銘 栗原謙司信秀      裏銘 文久二年六月日押し型       長さ 1尺七寸四分(52.7センチ)  彫  表 梅の枝花に葵の葉   裏 薙刀樋に凡字 説明 信秀の薙刀は珍しい。      彫りは葵の葉が付いた梅の枝花で葵の葉は徳川家の家紋を表す。 ◎  刀   表銘 栗原謙司信秀 文久二年十二月日 → 平成30年の審査で重要刀剣に認定されました        裏銘 応需土方新太郎政明(拵え付)押し型-全身押し型 寸法  長さ 二尺八寸(84.9センチ)      説明  土方新太郎政明の需に応えて造られているが、あまりに長大で、拵えもお飾り的なことから、        守り刀か、土方家の家宝にするつもりで造らせたものと推測される。        刃紋は匂い深く、足長く入り出来が良い。    刀剣美術誌のH30年7月の鑑定刀に使われました。ここでご覧頂けます ◎  刀   表銘 平信秀         裏銘 文久三年五月日刀身写真-心中写真 寸法  長さ 二尺二寸五分(68.2センチ) 反り六分      説明  文久の頃、長い刀が多い中で、寸は詰まっているが、切っ先が伸びた豪壮な体配で出来が良い。 ○  刀   表銘 栗原謙司信秀        裏銘 文久二二年正月日(生ぶ拵え付)押し型-全身押し型 寸法  長さ 二尺四寸六分(74.5センチ)    説明  信秀は文久三年以降、作名を「平信秀」「信秀」と切るが、これは四年にもかかわらず珍しく 「栗原謙司信秀」と切り、特に刃が冴えている。        年号の四を嫌って、ニを重ねて切っている。        現代刀匠の勇、大野義光師が刃が冴えていると言って、いつも褒めて下さる刀です。 ◎  短刀 表銘  筑前守信秀 裏銘  於大坂中心の写真-彫りの写真-刀の写真 寸法 長さ 七寸五分四五厘 (22.8センチ) 反り三分八厘  彫   表 天鈿女命(あめのうずめのみこと)   裏 瑞雲と鏡      説明  地鉄、板目肌よく練れる。刃紋、匂い口締まり、尖りこごろ、箱刃交えた互の目乱れ、 足良く入る。 ◎  刀 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応元年六月日表の写真-裏の写真 寸法 長さ 二尺四寸九分五厘 (75.6センチ) 反り三分八厘      説明  地鉄、板目肌よく練れる。刃紋、匂い口締まり、尖りこごろ交えた互の目乱れ、足良く入る。        私は実見していない作品ですが、棟を下ろした鎬高とのことです。        元幅が3.31センチもあるとのことで、これだけ身幅の広いのは信秀には珍しいと思います。 ◎  刀 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応元年八月日押し型 寸法 長さ 二尺二寸九分(69.4センチ) 反り五分三厘 彫り 表  櫃中に梅天神の浮き彫り、上に二本樋 裏 「鏨明□(い)」の文字、上に二本樋 説明 慶応元年に当時の孝明天皇から筑前守を受領しますが、この頃が信秀の最も気力充実した打ち        盛りだったと言われています。この彫りも信秀に時々あります。 ◎  小刀 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応元年八月日写真 寸法 長さ 全長(17.7センチ) 刃長さ(10.6センチ) 彫り 表  凡字 説明 信秀の小刀自体が珍しいですが、細いナカゴの表裏に作銘と年月日が切られている珍品です。        刃紋は静かなのたれ調ですが、地鉄は信秀らしい強い鍛えです。 ◎  刀  表銘 筑前守信秀 於大坂造之       裏銘 慶応元年十一月日押し型   寸法 長さ 二尺二寸五分(68.3センチ)     説明  慶応元年、信秀は京都で筑前守を受領し、その後、        大阪に約二年間滞在して鍛刀したため「於大坂」「於浪速」などと銘した作品が多くある。 ◎  刀  表銘 筑前守信秀       裏銘 慶応二年正月日押し型-中心の写真-彫りの写真-切先の写真-切先の拡大写真 寸法 長さ 二尺一寸(63.3センチ) 彫り 表 天鈿女命(あめのうずめのみこと)直立した姿 裏 山桜 説明 如何にも信秀らしい姿、短か目の刀で彫身であることから注文打ちの可能性がある。        地鉄鍛えがよい。刃は尖り刃を交え、金線を交え、荒沸付く。        これとよく似た彫の刀が21回の重刀になつているとのことです。 ○  脇差 表銘 筑前守信秀       裏銘 慶応二年八月日中心の写真-彫りの写真-切っ先の写真 寸法 長さ 一尺二寸一分(37.3センチ) 反り一分 彫り 表 梅天神 裏 特徳 説明 地鉄、強い鍛えの小杢目、肌立ち、姿の良い平造りの脇差である。        表に櫃の中に浅い彫り口で梅天神を、裏に文字の彫りがある。        刃紋、やや角ばる互の目連なり、金線を交え、縦の働き入る。        彫りは下の慶応三年の応東氏需造と対になるような仕事をしています。 ◎ 短刀 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応三年五月日押し型 寸法 長さ 六寸九分(20.8センチ) 反り なし 説明 平造りの中ほどから上の棟を卸して先は菖蒲造り風になる。        映りが経ち、地鉄鍛えよく、肌に見所がある。信秀の短刀で直刃の場合は特に鍛えがよく、映り が立つものが多い。 ◎ 短刀 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応三年八月日写真 寸法 長さ 七寸〇分五厘(21.4センチ) 反り なし 彫り 表銘 真の這い龍の彫り 裏 旗鉾の彫り 説明 信秀の特徴の浅い彫り口で、鱗を1枚づつ丹精に彫り、 胴の丸みも上手に表現しています。 ほとんど同じ彫りが、同じ頃の他の作品にもあります。 刃は小錵出来ですが、彫りをしたために焼きが沈み心です。 (焼き入れ前に彫りをしますが、焼き入れで失敗しないために、彫り身の作品は焼きが甘くなり        がちのようです) ○ 刀   表銘 筑前守信秀 応東氏需造            裏銘 慶応三年八月日押し型    彫り 表 梅天神       裏 「恃徳」の文字    寸法 長さ 二尺一寸六分(65.5センチ)    説明  東氏の注文打ちで、鍛えは小杢を敷いた大肌鍛えである。        梅天神(学問の神様菅原道真公)の彫りは信秀にまま見る画題。        この刀には藤代義雄氏の手書きの鑑定書が付いています。 ◎ 脇差  表銘 筑前守信秀       裏銘 無し全身写真-全身押し型-ウブ拵え    彫り 表 「おそらく」の文字        裏 腰樋に添い樋    寸法 長さ 一尺二寸五厘(36.6センチ) 反り2分(0.6センチ)    説明 大ぶりの恐らく造。清麿一派にはおそらく造りが多いが、信秀には少なくて栗原信秀の研       究にも一本しか掲載されておらず、その一本がこの作品です。栗原信秀の研究所載 ◎ 剣 表銘 筑前守信秀 裏銘 慶応四年二月日写真 寸法 長さ 九寸(27センチ) 反り なし 彫り 表 鎬の上に半ばまで樋 裏 鎬の上に半ばまで樋 説明 鎬が反った剣は室町時代の末期の末古刀期に多い形ですが、幕末頃には、清麿一派に時々見ら れます。但し、末古刀よりも大振りになるので、幕末の作と解ります。 この剣は、激しい出来で、互の目出入り激しく、金線、砂流しの働きが盛んで、錵激しく付い        て匂いの深い出来です。 ◎ 太刀  表銘 明治六年 信秀          裏銘 □東大寺宝剣天国押し型   寸法  長さ 二尺二寸五分(68.2センチ)    説明  東大寺の所蔵刀を観る機会があったらしく、天国の太刀を真似たことになっているが、信秀の 勘違いで、本科の天国は両切刃造りのこの姿ではない。 ◎ 太刀  表銘 平朝臣信秀       裏銘 明治七年八月日押し型-彫の拡大写真    寸法  長さ 二尺一分強(60.0センチ)    彫り  表 櫃の中に須佐之男命と二匹の龍浮彫り        裏 櫃の中に三匹の龍の浮彫り    説明  小烏丸写しで細身で反りの少ない姿で、信秀の作品の中では一番緻密な彫をしている作品と 考えています。        既に、鮮明な写真が「清麿大鑑」「栗原信秀の研究」に掲載されていますが、この写真は 私が撮りましたので不鮮明ですが、敢えて載せました。(この時、愛用のOM-2が故障して        いて写りが悪かった)        金無垢のハバキに菊の御紋章を彫られていますので、当時の皇族の注文で造られたものでは ないかと想像しています。 ◎ 太刀  表銘 平朝臣信秀       裏銘 明治八年二月日押し型   寸法 長さ 二尺三分(61.5センチ)    彫り 表 桐の枝葉と雌雄の鳳凰       裏 天鈿女命(あめのうずめのみこと)    説明  当時、三条の福島要吉の妻が信秀の従姉妹だった関係からか福島家に伝わった作品で、        三条帰省後の第一作目と思われるもの。        昭和六十三年に弥彦神社に奉納されている。(弥彦神社所蔵)        ほとんど同じ彫の作品が、もう一本弥彦神社にある。 ○  刀  表銘 模天国宝剣白勢君 栗原朝臣信秀       裏銘 明治八年十一月日於北越 押し型-全身押し型   寸法 長さ 二尺三分(61.5センチ)     彫り 表 櫃の中に鯉の滝登り        裏 梅の木と花 説明  新発田の白勢家は新発田藩の御用商人で当時大資産家だったが、名刀の所蔵でも有名で、 これは同じ鯉の滝登りの彫りを施した 短刀と共に、揃いで作らせたとされるもの。 特に鯉の滝登りの図は、他に類のない独特な写実性に富んだ彫です。 「君」は今の様に当たる尊称で、「於北越」は三条での作を示す。 ◎  鉄鏡  銘 明治八年十二月良辰                            為源川直茂君          栗原信秀作押し型-写真    寸法 径 三寸七分(12.21センチ)厚さ2分(0.6ミリ)     説明 源川直茂は後に三条商工会議所会頭を長く勤められた当時の名門資産家です。        その方の特注で製作された作品であることが解ります。        なお、研究で源川さんを越後長岡の住人と記しているのは間違いです。栗原信秀の研究所載         (押し型は私が取ったものですが、写真は栗原信秀の研究から引用させて頂きました。) ○  刀  表銘 栗原筑前守平朝臣信秀 → 平成30年の審査で重要刀剣に認定されました       裏銘 明治九年八月日切っ先写真-ナカゴ写真    寸法 長さ二尺七寸(81.8センチ)反り一寸(3.3センチ)    説明  三条での作品で高齢にもかかわらず長寸で出来がよい。明治三年に受領銘を切ることを        禁じられて以来、筑前守を切った作品は、この刀以外にはないと思われます。        恐らく、特別に意識して造られた作品と考えられます。栗原信秀の研究所載 日刀保協会設立第2回全国大会の入札鑑定刀に使われました。ここでご覧頂けます ◎  鉄鏡  銘 八幡大神                            明治九年奉納押し型-写真    寸法 径 六寸四分八厘(19.65センチ)     鏡厘 銅打出し、円形        真鉄御神鏡        越後蒲原郡三条町        村社八幡宮宝器        明治九年五月吉日            献備之        冶工 栗原信秀        相槌 米田孫資        仝同 定資        研工 白井佐資        筆者 後藤春蔵          有志中        世話人 石川又重          他 拾名        祠掌 藤崎義篤     説明 お国の招魂社の御鏡を造った信秀が故郷三条に帰って来ると、直ぐ、源川直茂が鏡を注文し        ますが、恐らく、おらが町の八幡宮にも御鏡をということで、信徒が奉納したものと思われ        ます。         九年の五月に奉納されているのは、五月は三条八幡宮の例年の大祭があるので        それに合わせて奉納されたものと思われます。(三条八幡宮所蔵)栗原信秀の研究所載 ◎  鉄鏡(大) 銘 明治九年八月吉日            栗原平朝臣信秀写真    寸法 径 三寸七厘(11.2センチ)     説明 八幡宮へ奉納の鏡の残鉄で作られたものと想像され、田上の大地主田巻家に伝わったと されるもの。        入念な手織りの絹の提げ緒が付いていたが切れてしまった。 ◎  鉄鏡(小) 銘 明治九年八月吉日                         栗原平朝臣信秀写真    寸法 径 三寸二厘(9.15センチ)     説明  前の(大)と、ほとんど同じ造りだが一回り小さい。信秀の甥(今井長三郎)と婚約して いた女性の家に伝わったもの。 ◎  鉄鏡  銘 弥彦神社                            明治十季押し型-写真    寸法 径 九寸(29.7センチ)厚さ4分(1.32センチ)     鏡厘 素銅、円形     中央に第三区     鏡工 栗原信秀 栗原信寿 今井信吉     門人 米田秀一 米田秀次 宇佐美正水 笠原信一     研工 市川徳一 解良新八郎 富所平三郎  南須原斎        伊藤左武郎 坂田廉平 高島良宣 富取武七郎        坂井泰蔵 田野鑑十郎 吉川勘十郎 長沼三男三郎        鈴木健蔵 柄澤八十太郎     説明 栗原信秀の研究には次のように説明してあります。        「当時、新潟県は二十八大区に分けられており、大三大区は西蒲原郡の内、巻町、吉田町を        中心した区域で、その四字を囲んで、鏡工栗原信秀を初め息信寿等21人の名がある。        この内研工として上げている十人は、第三大区の中の小区長の名を上げたものである。」        この名誉ある仕事に名を残すため息子の信寿を呼び寄せて仕事をさせたものか、今井信吉は        弟の新造のことと思われます。        越後一宮の弥彦神社の信徒の方にとってもお国のお宮さんの御鏡に因んで、私達のお宮さん        にもということで、当時の西蒲原郡の中心地の信徒が造らせて奉納してものと想像致します。        流石に大きさは一番の特大形です。(弥彦神宮所蔵) 栗原信秀の研究所載        (押し型は私が取ったものですが、写真は栗原信秀の研究から引用させて頂きました。) ○ 短刀 表銘 平朝臣信秀 裏銘 明治十年八月日写真 寸法 長さ八寸一分(24.4センチ) 反りなし 彫り 表銘 櫃の中に横向き火炎不動 裏 櫃の中に制多迦童子と今迦羅童子 説明 短刀に横向き火炎不動の彫りがよくありますが、これだけ緻密な制多迦童子と今迦羅童子を 彫ったもの短刀は他にありません。制多迦童子と今迦羅童子は不動尊の従者です。三条打。 ◎  短刀 表銘 平朝臣信秀       裏銘 於北越全身-中心-刀身 寸法 長さ 九寸四分(28.7センチ)  彫り 表 櫃の中に横向き不動        裏 旗矛    説明  伸び心の大振りの短刀で、地鉄小杢で直刃の出来で珍しく中心に見釘穴かないので奉納刀と して造られたものではないかと想像します。 ◎  短刀 表銘 平朝臣       裏銘 信秀写真 寸法 長さ 四寸四分九厘(13.6センチ)  彫り 表 瑞雲        裏 櫃の中に須佐之尊と龍    説明  明治時代に三条の呉服商石長から分水の名家に婿に行った人の持参品で、三条打ちである。        裏が片切刃で入念な彫りがあり、明治七年八月日作の小烏丸写しの彫の中心部分と略同じ図柄 である。 ◎  短刀 表銘 為赤塚則慶       裏銘 平朝臣信秀(拵え付)写真    寸法 長さ 四寸七分五厘(14.4センチ)     彫り 唐人(孔子)像    説明  前の短刀と寸法がほとんど同じで、赤塚則慶の注文で打たれたもの。孔子像と思われる像は 小さいが、精緻に彫られており100倍に拡大しても不自然ではない。三条打ちである。 ◎  大小刀 表銘 平信・・・写真 寸法 長さ 四寸六厘(12.3センチ) 反り無し 彫り 表  日本心を人とわば       ?  山桜の浮かし彫、布目象嵌 説明 栗原信秀の研究に同様に大小刀が掲載されています。この作品と共に三条で造られたものです。 ナカゴが朽ちて半分近くになっているのがおしまれます。穴は後付けと思われます。        匂い出来ですが、研究所載品は沸出来で「朝日匂う」とあります。        両方の押し型を載せました。押し型

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