今まで出会った日本刀
栗原信秀・会津兼定以外の刀
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◎ 太刀 表銘 康光 写真
長さ 七十一・八センチ(二尺三寸七分)
反り 一・七センチ(五分七厘)
地鉄 流れ交じり肌現る。
刃紋 小さな丁子連れて谷を交えた互の目。
説明 反りついた美しい姿に、刃冴えて乱れ移り立ち、肌表れて応永備前の典型作。
揃いの大小拵えに入っており、その大刀です。
◎ 太刀 表銘 薩藩大和守朝臣奥元平
裏銘 寛政三年亥春 写真
長さ 七十四・五センチ(二尺四寸六分)
反り 一・四センチ(四分七厘)
地鉄 小木目詰んで、ねっとりとする。
刃紋 焼き出し低く小乱れて、中ほどから乱れの谷大きくなり、先に
行く程に、互の目高く焼き匂い深く、沸え広くなる。
説明 猛々しい姿に、真改に私淑したという如く、中程より上焼き高く沸えあくまで深く出来優れる。
拵えが付いています。
◎ 刀 表銘 作陽幕下士細川正守
裏銘 応増田正久好精鍛
昭和三十年越後国三条昭忠源雪房謹彫之 写真
長さ 七十一・五センチ(二尺三寸六分)
反り 〇・七六センチ(二分五厘)
地鉄 杢目大きめに肌ものとなる。
刃紋 直ぐ刃。
説明 肌鍛えで直ぐ刃の細川正守に、阿部昭忠が信秀の彫のコンカラ童子と
セイタカ童子を模して彫をしたものです。
この刀に付いては物語がありますが、それは後でアップします。
ウブの拵えが付いています。
〇脇差 銘 河内守国助 写真
長さ 四十八.二センチ(一尺六寸)
反り 一センチ(三分三厘)
地鉄 地沸え付き、一部沸え映り風となり、杢目詰む。
刃紋 丁子複雑に組み、小沸え付いて、足縦横に入り冴える。
説明 河内守の二代目は初代と三代の間に挟まれた名工というとで中河内と
言われます。この脇差は、特に刃が冴えて働きが盛んです。
もっと、刃の働きを表現したかったのですが、出来ずに残念です。
古研ぎの状態でした。
〇脇差 表銘 大隈守平廣光鍛之 全身写真-中心表写真-中心裏写真
裏銘 慶応四年戊辰年二月日
長さ 三十二センチ(一尺六厘)
反り 〇、二センチ(六厘)
地鉄 大板目。
刃紋 焼き出しからしばらく頭の揃った互の目、中ほどより先広めの直刃となる。
説明 大隈守平廣光は会津十一代兼定の弟子で、大板目の地金はよく似ています。
兼定と比べた中心の写真で解るように、表銘は「守」の字がほとんど同じですし、
裏銘は全て同じ人が切ったかと思われるほどよく似ています。
〇脇差 表銘 大隈守平廣光 全身写真
裏銘 慶応四年辰年二月日
長さ 五十七、三センチ(一尺八寸九分)
反り 一、〇センチ(三分三厘)
地鉄 大板目。
刃紋 谷のある互の目、頭が揃い、焼頭丸くならず変化あり。
説明 大隈守平廣光は会津十一代兼定の弟子で、大板目の地金はよく似ています。
地金は兼定の大板目に近く、似ていますが、兼定にこの刃紋は見掛けないようです。
写真はありませんが、拵え付。
〇刀 表銘 平安城住大隈守平廣光 刀身写真-刀身下方と中心写真
裏銘 慶応四年辰年二月日
長さ 七〇、〇センチ(二尺三寸一分)
反り 一、四センチ(四分六厘)
地鉄 大板目。
刃紋 直刃、刃縁に変化あり。
説明 大隈守平廣光は会津十一代兼定の弟子で、大板目の地金はよく似ています。
銘の平安城は京都を示しますが、主に京都で鍛刀したようです。
帽子が伸びた豪壮な新々刀体配です。地金は兼定の大板目に近く、よく似ています。
銘は兼定銘に似ないように、前の二本と違えて、わざと一部を草書風に切ったように思われます。
〇短刀 表銘 大隈守平朝臣廣光 全身写真
長さ 二十九.、二センチ(九寸三分四厘)
反り 〇、一センチ(〇、三厘)
地鉄 大板目。
刃紋 直ぐ刃。
説明 裏銘はないが、保存鑑定書には慶応の作と書かれています。
廣光は会津十一代兼定の弟子で、この短刀も大板目の地金はよく似ています。
〇脇差 表銘 越後住昭麿作 全身写真
裏銘 なし
長さ 六十五、二センチ(二尺一寸五分)
反り 〇、七センチ(二分三厘)
地鉄 小板目肌詰み、地沸付き、きれいな地金。
刃紋 沸出来、互の目乱れ、足長く入り、荒沸目立ち覇気がある。
説明 栗原昭秀の門下故長島平次郎の作品。本作は出来が大変優れ、比較的きれいな海軍軍刀拵入り。
長島氏は新潟市で刃物の製造をされ、その品質は特に優れたと言われます。
三条の刃物界の重鎮、岩崎重義さんが師と仰いで尊敬されていました。