栗原信秀と関連の作品
ここでは、信秀と関係のある刀工の作品をご紹介します。
「押し型」「写真」をクリックすると作品がご覧になれます。
◎三本槍 表銘 源 正行
裏銘 弘化ニ年八月日押し型-写真-写真2
長さ 一六センチ(五寸二分八厘)
説明 信秀の師、正行(清麿の前名)の三本槍。
三本槍は形態こそ見栄えがしますが、刃とか地鉄の働きには見所がないものですが、
さすがに清麿です。この槍は、どの刃を見てもさまざまな働きがあります。
写真2に、刃中の働きを1面だけ撮りました。
清麿の三本槍は珍しいですが、佐野美術館の清磨展には、これと他に二本の計三本が展示されました。
茎が途中で切れているが、仕立てや、太さ、その他の形状は信秀の槍と良く似ています。
◎ 脇差 表銘 君万歳 清人 (生ぶ拵え付き)押し型
長さ 三六・七センチ(一尺二寸一厘)
説明 信秀の弟弟子の清人のおそらく造りです。ウブの松代拵えが付いているので信州で打った可能性が高いと思います。
鋭利な姿はより師に似る。清人としては激しい出来だと思います。
次で拵えの写真がご覧になれます。
拵え全体
小柄笄
○千鳥槍 表銘 源 正雄
裏銘 万延元年八月日写真
長さ 十五・八センチ(五寸二分一厘)
幅 八・八センチ
中心長四〇・二センチ
説明 清麿系の三本槍は珍しい。特に千鳥槍というタイプです。
〇 短刀 表銘 源 正雄
裏銘 文久二年八月日写真全体
長さ 26.2センチ(七寸五分)
説明 刃中、中ほどに盛んに金線が入り、如何にも清麿一派らしい作品。
古研ぎだったものを研ぎ上げたら中々の作品に仕上がりました。
全身写真は研いで下さった玉置さんの制作になるものです。
これらの写真は最近ではカメラではなくスキャナーで作る場合が多いそうです。
○ 刀 表銘 源 正雄
裏銘 文久三年二月日写真
長さ 七一、〇五センチ(二尺三寸四分五厘)
反り 四分(十二ミリ)
説明 源正雄は清麿の弟子で信秀の兄弟子ということになっているが、
いくつかの弟弟子を思わせる資料がある。
帽子清麿風に乱れこみ、小板目詰んで細かい地形入り、細かい金線盛んに入り、
重ね厚く、姿豪壮でどっしりとする。
◎ 短刀 表銘 源 正雄
裏銘 文久三年八月日押し型-写真表-写真裏
長さ 二八・八センチ(九寸五分)
彫 於曽羅久(おそらく、と読む)
説明 清麿一派はおそらく造りが得意で、姿の良い作品がある。
この作品はその一本で、鍛えは流れながら鍛え強く、刃紋は沸えを交えて、
匂いは刃先近くまで霞み込むように深く、品の良い金線が幾重にも入る。
「於曽羅久」の彫り珍しく、出来優れる。
◎ 刀 表銘 源 正雄押し型
長さ 七一・三センチ(二尺三寸五分三厘)
この刀が「週刊日本刀」63号(2020/9/8)「正雄」に掲載されました。
「週刊日本刀」の「正雄」
説明 この作品は中ほどより上、出来優れ師匠を彷彿させるほどである。
下半が焼きがやや低めとなるが、折れるのを防止するためかも知れない。
手書きの刃紋に付いてですが、刃中の働きがあまりに激しいために、詳しく書けなかったのが
残念です。実際は、もっと激しい働きがあります。
○ 長巻 表銘 真雄押し型
長さ 六十七.九センチ(二尺二寸四分)
中心長さ 五十五センチ(一尺八寸一分五厘)
説明 真雄は信州の郷士でしたが、既存の刀工の作品に飽き足らず理想の刀を打ち
たくて刀工になった人で、協力者として弟がおりましたが、兄の手伝いをし
ている内に弟も同じ道を歩きます。
それが、後に、江戸に出て人気を博した清麿です。
兄真雄は終生信州に居たために作品も少なく、地味な作刀を続けました。
この薙刀は上田藩の為に打ったものと思われ、粗い感じの中にも清麿に共通
する雰囲気を感じることが出来ます。
○ 刀 表銘 於信州小諸藩山本清廉邸
同国天然子寿昌作之写真
裏銘 天保十五甲辰年ニ月日
長 七十四.二センチ(二尺四寸五分)
反り 二.二七センチ(七分五厘)
説明 真雄の前名で41歳の時の作品で、まだ、太刀風を示す作りこみです。
真雄は荒沸えが付くと折れやすくなり、匂い出来の方が切れ味に優れると
考えていたようで、この刀も匂い出来の乱れ刃が激しい刀です。
為打ち銘の山本清廉については次をご覧下さい。こちらから。
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